独楽まわし

コマを回す。回っている状態は、止まっているよりはよっぽど変化し続けている。でも、次第に回転が遅くなり、不安定になり、軸がブレて、重い部分が低く下がりだし、やがては何かにはじき出されたみたいに転がって横になって止まってしまう。そういう顛末を一度や二度や三度以上見たことがある人にとっては、回っているコマがこのあとどうなるかは予想しやすい。


コマが回って転げて止まるなんてことは、短い時間に起こる些末な出来事に思える。でも、私が100年くらいの長さに思っている時間が、今の私が思う30秒とか1分くらいの間に経過したとしたら、ある人間の一生もコマが回って止まるまでのプロセスに等しい、それくらいに思える儚いものかもしれない。


いろんなところで、いろんなコマが回る。大きいもの、小さいもの。速いもの、遅いもの。重心の高いもの、低いもの。多様なコマが多様な条件下で回る。ぶつかり合うなどして干渉しあうこともあるかもしれない。次々に転げて止まるコマが出るが、新たに生まれるコマも次々に、である。そうやって、入れ替わっていく。うごめく、分布図。


ひとつのコマを、私にたとえることができる。同時に、思う。私は、そのコマを導く存在でもある。ただその場所で健気に回り続けるコマ。その位置する地盤を傾けてやったり、出来るだけ回転を阻まないように気をつかいながら移動させたり、ときには綱を渡らせたりして、ほかの場所へ連れて行ってやる役割を私は兼ねている。コマは、心臓みたいなものかもしれない。


ただ、その場で回り続けることのみを目指すのならば、可能な限り回転に影響を与えそうなものごとを少なくしてやればいい。変化を起こしたり干渉したりしそうなものを排除するのみだ。でも、それじゃぁ回っていなくたっていいんじゃないの? 止まって、ぐでんと転げてしまえばいい。


このコマは特殊なもので、そうやって変化や干渉を抑えていれば、いちばん長く回り続けるものとも違う。不思議なことに、干渉し合ったり、位置が変化することで、より長く回り続けたり、より力強く回り出したりするらしい。より安定を増して回り、これまでに到達できなかった場所に持ち運ぶ強度を備えた存在にだってなりうるのだ。そうやって、コマの分布までもが変化していく。


ぶつかり合って、お互いがお互いを弾きのけて、分布が変わる。スリリングな一瞬が、世界のあちこちで起きてもいる。一方的にどちらかを殺してしまうようなことも起こりうるが、そこには、コマの分布を見守り、手を差し伸べて導く私たちがいる。コマとその導き手がセットで人間だ。お互いにぶつかり合って分布を変えることを両者が望むのならば、それは歓迎すべき一瞬だと私は思う。またそれは、意図の外側で起きてしまうことでもある。


お読みいただき、ありがとうございました。