ラグタイム

ちっちゃく変わるとする。で、その変わった方向にまたちっちゃく変わるとする。それをどんどん続けていけば、大きな変化になる。


一回で、極端に大きく変化するのはむずかしい場合がある。どこかに大きな負担を強いるかもしれないし、その無理がたたって、壊れる、消失するといった結果を迎えるかもしれない。そうならないために、変化を小分けにするという手法は有効そうだ。より遠くから俯瞰しても認められるような、大きな変化を遂げるために。


ちっちゃく変化して、その変化した方向とは反対の方向に変化したとする。これは、逆戻りである。ちょっと変わったつもりでいたけれど、なんだまたおんなじところに戻ってきちゃったじゃないの、という結果だ。昨日から今日にかけてのちいさな変化、その獲得の方向性を忘れてしまうと、せっかくのちいさな一歩が無駄になりかねない。私が「記憶能力」を持っているのは、そうならないためなのかもしれない。あまり優秀でない能力のため、覚えていられるのはせいぜい昨日のことだ。あまりたくさんさかのぼるのには、少々メモリが足りない。


あんまり、記憶能力を「電子機器のメモリ」みたいにとらえるのはよろしくないのかもしれない。人間ってそういうもんじゃないとも思う。もちろん、物質が組み合わさった、複雑怪奇であるにしても実在する器械としての側面を持っているのが人間という生き物である、という持論を否定するものではない。確かに人間にはそういう面があるはずだし、そこは認めていい部分じゃないかと思っている。でも、こう、昨日までのデータを「上書き」「更新」していくのとは違う側面で論じられる何かがあると思う。きれいさっぱり、最新のとおりになるなんてことは不自然だ。「複雑怪奇」のところに私は魅力を感じ、日々引き寄せられてもいるし、そのわからなさに振り回されてもいる。「わからなさ」なんて表現自体が逃げだとも悪癖だとも思う。言葉は「わかられる」ためにあるようなものだから(もちろんそうでない側面も認める)、言葉の庭に引き込むこと自体が禁じ手なのかもしれない。


ちっちゃく変わって、そこからまたちっちゃく変わって逆戻りしたとする。結果としておんなじ位置に戻ってきているから、何も変わっていないし時間を無駄にしただけという評価もあるかもしれない。でもそれは、ずーっと何も変わらずにいたのと一緒にはできないところが、人間が電子機器のメモリとは異なるところなんじゃないかなんて思うのだ。


ちっちゃく変わることを積み重ねる手法は、人間の生理的な制約を鑑みるに、有効だと思う。100時間ぶっとおしで何かをし続けるのは私には難しいが、1時間ずつに分けて100回ならば、機会を重ねることで達成できる。11時間と設定すれば100日かかる計算だ。その設定はもちろん任意。急ぐのならば110時間として10日で終わらせる手もある。


100時間ぶっとおしで何かに習熟するための訓練が仮にできたとしても、小分けにしたほうが能率が良いような気がする。これは、人間の生理的な制約に由来することのように思える。気力・体力なんてものが関係ない、人口知能を持ったアンドロイドだったら、100時間1本の習熟コースでいいのかもしれない。でも、実際の話はきっとそんな単純じゃない。睡眠中に人間の頭は「ととのう」のだ、なんて話もある。どこかで聞いた話を半ば信じている私がいる。


あることに直面する。考えるとか、行動するとかする。そこから、トリップする。で、また戻ってくる。で、また考えるとか行動するとかする。時間にすれば、1回のトリップを挟む前後にそれぞれ1時間、何かを考えるとか行動するとかしていたのだったとすれば、合計で2時間になる。仮に「トリップ」を挟まなかったら、回数にして1回。しかし、トリップを挟めば2回だ。どちらも時間の総量は同じである。どういう訳か、時間の総量が同じならば、回数が多い体験のほうが、強度が得られる気がする。


ここでもやはり、「総時間が同じ」というような、電子機器のメモリにあてがうような考えをしがちな私だけれど、それがそもそも間違いなのかもしれない。時間って、その実態って、実はそういうものじゃないのかもしれない。1分とか1秒とかそういうのは、どこぞの原子時計だとかそもそもその原子が「ナニナニする間」みたいなものを根拠にしている。その単位を、私は「別のこと」に持ち込んで考えすぎなのかもしれない。つい「時間」という言葉で表しがちなものごとがあるが、その表現は的確でないのだ。ひょっとしたら「愛」とかそんなものの方が近いのかもしれない。ひとえに呼び方の問題だとすれば、識別さえできるのであれば間違ってそれを「時間」と呼び続けても差し支えないように思う。でも、前に述べた「原子がナニナニ」といったような意味での「時間」と混同することで、何か重大な勘違いが生じているのだとしたら、私はそれを改めておきたいと思う。


「愛」というか、「宇宙」ってやつか。そっちのほうが、うん、だいぶしっくるように思う。ない頭が考えたことにしては上出来だと、「ちょっとだけ変化した」のを認めてやりたい。


お読みいただき、ありがとうございました。