挑戦者とチャンピンオン

言うだけって、ほんとかんたんです。電子のネットワーク上にこうして書くのは、もっと簡単かもしれません。なんの責任もないところでの発言って、鼻水みたいなもんです。乾いたら、もうどこかへ行って、何もなかったかのようになってしまいます。あんまり不純すぎる発言は、むしろこびりついて汚れが頑固に残るかもしれません。


私はコーヒーが好きです。で、みんなもコーヒー好きだよなぁと思います。あちこちにコーヒー屋さんがあるし、あちこちでみんなが飲んでいる。よくやるよと思います。コーヒーを売るほうも、コーヒーを買うほうもです。で、私自身もよくやるよと他の人から見れば思うような行動をとっているほうかもしれません。


で、私もひとつ、コーヒー屋にでもなってやろうかしらなんて頭の中に像を立ち上げます。でも、その細部は全部置いてけぼり。前後も置いてけぼりです。ちょっと想像しただけでも、「経営」にともなって生じる種々の仕事の量は半端じゃありません。やることも尽きないし、考えることも尽きないことと思います。そんなものを、「みんなが好き」で「多くの人がすでにやっている」世界でやろうとしているのです。それって、自殺行為じゃないかと私の足らない頭でも思い至ります。やっぱり、言うだけとほんとにやるのはまったく違う。


それでも「やってしまう」って、きっとそうせざるを得なかったんだと思います。 私はずっと音楽をやっています。ぜんぜん稼ぎにもならないのに、仕事としてでなくとも、自分のための曲を書いて自分で演奏して録音をして、それを自分で聴いたり聴きたいと言ってくれる人に聴かせたり、手を伸ばそうという人の手の届くところに置いたりとかしています。そんなことをなんでやるのかと言われたら、その理由はいまだによくわからないけれど、そうせざるを得なかったからやっているんだと思います。理由なんかなくてもやれるのです。勝算なんてそもそもないのです。勝負じゃないのだから。いえ、自分との勝負なのだから。それのみなのだから。自分とのタイマンに、邪魔者は要りません。助太刀はむしろ、勝負を無効にしてしまいかねない。だから、私は一人なのだなと思います。もちろん、自分とタイマンするときの私に限っての話です。


何かやるとき、ふつうは、たくさんの人が関わってきます。「何かやる」って、本来そういうことなんだろうなと思います。だからこそついつい、「みんなが好きそうなもの」をみんなとおんなじようにやろうとする妄想を持ちます。で、それを言い合ってみたりするけれど、ほんとうにやろうと思ったら、もっともっと違うことでやらなきゃいけないことが立ち現れてくる。当然だろう、何かするときに、光の当たるほうだけについてしゃべりがちだからです。陰にほうにも、「在る」のです、そりゃもうさまざまが。


「タイマン」の世界には光も陰も糞もなくて、とにかく私が私と本気でぶん殴りあうだけです。


夢中で。現実の世界で。


お読みいただき、ありがとうございました。