青沼詩郎は、詩になりたい。

●●になりたい」は、いろんなことを思い出しますね。


私は音楽をやっているので、「ミュージシャンになりたい」「シンガーソングライターになりたい」みたいなことをさんざん考えてきました。いえ、考えようによってはすぐにでもなれる、あるいはもうなっているというのに、まるで遠くを見て言うみたいに「なりたい」を言っているばかりで、本当に今すぐにそれになろうというのからは逃げてばかり来たんじゃないかとも思います。だから、未だになれていません。考えようによっては、ですけれど。


職業ミュージシャンになれているかと言えば、私はぜんぜんなれていませんが、生き方としてのミュージシャンならば、ずっと実践しています。「生き方としてのミュージシャンを実践する」というのも、何かへんな言い回しですね。ただただ、ずっと、音楽と向き合う時間を人生のなかに設けつづけてきた、というだけのことなのですけれど。(私が「なりたいが、なれていない」を狭義に言うときは、)音楽に関わることだけをやって、恒常的に最低月収30万円稼ぐ、みたいなことを「なりたい」という言葉で表していたのかもしれません。


私は自分のソロ音楽活動に「bandshijin(ばんどしじん)」という名前をつけています。バンド(音楽)をやる行為そのものが「詩である」という意味を込めています。バンド形式の音楽やサウンドが好きで、ソロだけれど、ひとりでいろんな楽器を演奏して、多重録音によって、「バンドの音」をつくりあげています。もちろん、そのための楽曲も自分で書くから、作曲と作詞(作詩?)もします。そういったおこないみんなひっくるめて、「bandshijin」なのです。あ、あと、私の本名が「詩郎」なので、それもあるのですけれど。


私の母が、詩という字を子どもにつけたいというのでもらった名前が私の「詩郎」というものです。「詩」って、それを職業にするのは難しい。でも、太古から実践されてきた「生き方」でもあると思うのです。純粋に職業として「詩をやる」ってどういうことかと言われたときに思い浮かぶ実例ってほんとうに「谷川俊太郎」さんくらいのものだというのに同意してくれる人は多いと思います。いえ、もっと業界にお詳しいかたならばあれもこれもあるよと教えてくれるかもしれませんけれど。にしても、音楽業界とかナニナニ業界とかいいますけれど、「詩業界」とはいいませんね。せいぜい「詩壇」くらいのもので、これに類似した言いかたは「歌壇」とか「文壇」とかあります。壇に上がることは、生き方を見せるということでしょうかね。職業としての活動が、生きることのすべてではないと思います。どこかで、「やりたいことを職業にするのが理想」みたいな論に出会うこともあります。それもそうだと思います。貴重な生き方でしょう。


私について言えば、「詩になりたい」。これです。


お読みいただき、ありがとうございました。



青沼詩郎