Stay or Go

こどもって、ほんとうに思い通りになりません。うちには、1歳と3歳のこども()がいます。で、上の子の主張が強く、大人は困ってしまうことが多いのです。彼の主張に、叶えてあげられない要求が含まれているからです。いえ、その主張や要求を叶えてあげるのが必ずしも不可能というわけではないのですが、叶えてあげづらいものが多いのです。叶えてあげてしまうと、取り返しのつかないことになるものだったり、あるいは、復元するのに大変な労力を要するものだったりします。そうなると、大人は(いや、それはチョット)といって、「叶えてあげられない」という「いぢわる」をしてしまうことになるのです。実は、その「いぢわる」が新たなる「叶えてあげづらい要求や主張」を生んでいるのかもしれません


他人を変えるには、自分が変わるのがいいと思います。自分が変わらなきゃ他人は変わらないとまでは言い切れませんが、現在の自分があるから現在の他者があるわけで、その均衡を破りたいのであれば、自分がまず変わるしかないはずです。自分が何かしら「はたらきかけ」をするのです。それはつまり、「それまではしなかった何か」を自分がするのですから、その時点でもう、自分は変化しています。で、その自分の変化によって、それまでの均衡を保てなくなり、他者までもが変化するのだと私は考えます。逆も然りで、他者が変化すると、おのれも変わらざるをえなくなります。


「変わらないでいる」ことは、特別な努力を要します。そのままでいたら、基本的に、周りの変化に流されて、自分も変わっていくと思います。他人との関係を変化させたかったら、じぶんを堅く守り、保つこともときには有効な方針となりうることを私は提案します。たとえば、Aさんが10メートル歩いていくあいだ、Bさんがその場にとどまれば、2人の位置関係には10メートルの変化が生じます。ですが、BさんもAさんと同じ方向に向かって10メートル歩いていくと、2人の位置関係には変化がありません。ですから、お互いが、お互いの関係を良くしようとなにかしらのはたらきかけをしたり、自分から行動を起こす(つまり、それまでとらなかった行動を起こすことで自分を変化させる)という選択をしているのにも関わらず、2人の関係が良好に転じる兆しが見られないなんてことが起こりえると思うのです。


もちろん、2人の距離に変化が生じなくとも、場所、環境が変わったことで2人の関係に良くも悪くも別の影響があるかもわかりません。むしろ、そうしたリフレッシュメントはよくあることだと思います。場所や環境を変えることもまた、有効な策になるでしょう。


その場にとどまることは、危険なことかもしれません。そのままそこにいたら、地面がすごく揺れるとか、ざんざんと刺すような雨に降られるとか、ごうごうと巨大なトラックが突っ込んでくるとか、そうした危険があるのを理由に、たとえばAさんはその場を辞去するかもしれません。そのとき、Bさんもやはり「私も」ということで、その場を動きかねません。それは身を守るために必要なことかもしれません。


そのとき、もちろんAさんとおんなじ方向に歩くことだってあっていいわけですけれど、「では私は別の方向へ行こう」という態度も、有効なのではないかと思います。他者を観察していると、「人のいくほうへ自分もついていけばなんとかなりそう」と思うのか、同調という「反射」を起こしやすいと、そんなふうに見えることがあります。


私は逆に、何か変化が身の周りに起こったとき、すぐ「反応」してしまうのを抑えるくせがあります。その「くせ」によって、損しているという評価をくだす見方もあるでしょうけれど、私はその「くせ」で得られる結果を重んじているようです。そしてそれは、あんまり、多くの人が好まない結果に思えます。ちょっと、「ヘンクツ」かもしれません。


お読みいただき、ありがとうございました。