ほとぼり

すんごい広まり方をもってプレイされる曲がときおり現れますね。2019年なんかは、『パプリカ』という曲がそうだったのではないかと思っています。この曲がかからなかった小学校の運動会はどこにもない、なんて声も私の耳に届いているくらいです。


『パプリカ』と異質な存在かもしれませんが、ある時期、『花は咲く』という曲も、プレイされていない時間のほうが稀なのじゃないかと思えるくらいに頻繁に演奏されたり歌われたり、聴こえてきていたのじゃないかと思います。そんな曲を、私は最近になって味わい直しています。


(そう、いっつもいっつも、私は反応が遅いのです。これはわざとであって、)多くの人が注意を割いている方面にはあえて意識を注がないのが私の天然の癖なのです。そのときすぐに過剰な反応をしないように気をつけてしまいます。もちろん無視するということではなく、存在だけは見留めておきながらです。それで、だいぶ時間が立ってから「多くの人たちの意識の高騰」がおさまったころあいに、私はそのあたりいったいの「房(ふさ)」のことをまじまじと眺め始めたり、突いたり触ったり味わったりしだすということが多いのです。


先日、20113月の震災以後、私ははじめて東北に行きました。福島県の新地町というところです。太平洋をのぞむ、南北一帯の「浜通り」と呼ばれる地域、その最も北のあたりに位置する土地です。


海に面している地域は、見通しがよく、広がっています。そのあたり一帯を、あの日、波がぜんぶ、密着するように舐め取って行ったのだろうと想像します。そのあたりのエリアは、現在は、防災公園みたいな役割をもった公の土地として整備されていました。


その土地に住んだり、働いたりしている人たちのいくらかとも会ってきました。ただただ、素性も知れない私のことを(まったくなんの前提もないストレンジャーというわけではありませんが、あくまでよく知らない個人であるにもかかわらず)歓迎し、接していただきました。


震災や津波といったことは、現在につながるきっかけだったに過ぎないなと思います。そういうことがあったから今がある。いえ、「今」の光景があるそのきっかけを辿って行くと、過去にそういう災害があったというだけで(、それ以上も以下もありません)。


震災からいくらか時間が経って、復興が認められる部分ももちろんあるでしょうけれど、事実の存在はいつまでも切り離せるものではありません。何かをする動機は、日々新しく塗り替えられて行きます。なかなかそういうふうには見えないかもしれないけれど、常に、時間の積み木のいちばん上にいるのが私であり、あなたであるはずです。


「なんにもない」という情報に着目して落胆し、寝転んで救いの手を待つ。「今、ここから何ができるか」に着目して行動する。同じ条件下でも、ちがった反応を起こし得るのでしょうけれど。心の中に相反する自分を持ちながら、たったひとつしかない自分のからだを繰り出して、今日を動いていきます。


お読みいただき、ありがとうございました。