粛々と 〜これまで通りに、これまで以上に〜

新型ウィルスについて、これは頼れそうだぞ、信じて良さそうだぞ、というスジの落ち着いた発信が見られはじめたように思います。闇のなかで怯えるだけの時期を過ぎたかのようにも見えます。


私は、ある自治体の教育機関によって設置される、公共施設の運営に関わる仕事をしています。


昨日、私が担当するある事業の開催を中止にしました。規模、参加者が不特定多数かどうか、内容や趣旨を鑑みての参加者間の接触の度合い、この事業のこの時期における必要性や緊急性などを考慮しての決定でした。それで、リストの端から端まで、すべての参加者と講師に、今後予定していた開催日に来場しないよう連絡をしました。個人的には、今年度のあいだずっと考え、情報を集め、自分自身も学んできたことの集大成でもある事業でしたので、中止のために仕事を粛々と進めつつ、とても悲しい気持ちでいました。個人の気持ちはともかく、この事態への対処として、しかるべき態度をとって裁量するのが仕事ですから、そこに異存は何もありません。むしろ、やるべきことが普段よりも具体的だった一日にも思えます。


新型ウィルスに関してのいろいろな発信にのせられた情報たちですが、それらを読むに、たしかに、ウィルスの特徴みたいなものがだいぶ見えてきたような印象があります。


こういう機会にこそ、習慣になっていることやそのありさまを問い、改善が図れるかもしれません。普段だったら試しにくいようなことも、試せるかもしれません。不謹慎に映るようなことは避けたいですけれど、この非常な事態を経験したのちの私やあなたには、そのことによってのみ得られるモノがあるはずとも思います。


「なかなかあることではない」事態を受けて、判断や行動を問われる今の状況は特殊かもしれませんが、その特殊性に狼狽えることなく、ある意味これまで通りに、そしてこれまで以上にしていきたいです。



お読みいただき、ありがとうございました。




青沼詩郎