今日からのための仕事をしよう

自治体系・民間系問わず、いろいろのイベントを中止する決定がどんどん出てきているようですね。あらゆる心配事を潰すために手を尽くしてでも決行するとなると、気持ちよく楽しめるかがあやしくなってくる。やるなら、万全、どころか億全、兆全くらいの対処をやらないといけない。そこまでして、やるか? やって、楽しめるか? と問うと、中止という選択が浮かび上がるのも分かる気がします。それどころか、会場や施設そのもののクローズィングのニュースなんかもどんどん入ってきています。


人の流れは、血脈のようなものかもしれません。それが滞ると組織が壊死してしまう部分も出てくるかもしれません。「冬眠」を連想しますが、冬眠中の熊が血液の循環をやめるわけではないはずです。遅くする、くらいなのかな? (それとも、血液の循環を止めても生きていられるしくみなのでしょうか、わかりませんが)


学校が休みになるというニュースがあるようです。学校が止まると生徒たちの親は? 低学年の子の預け先に困るという人たちの声が聞こえてきているようです。


私はライブハウスで歌ったり演奏したりする活動をしますが、小さなライブハウスの、規模の小さなイベントは予定通り開催するものも多いようです。一方、観客や関係筋の規模や数が大きいものを中心に、事情をかんがみて中止せざるえをえないという判断に至る、音楽のライブやコンサートのイベントも多いようです。大きな仕事の集大成がまるごと切り落とされてしまって、その影響で、仕事人としての人生がなくなってしまいかねない、というような深刻な影響を受けている人も現に出てきているようです。


テレワークやら在宅ワークの可能性を検討する方向が浮かび上がっています。シェアオフィス コワーキングスペース ノマドワーカ(古い) なんてことばも思い浮かびます。特に、コワーキングスペース、増えましたよね、近頃。私の生活する範囲の地域を眺めていても、そんな印象を受けます。個人事業主さんなんかで、または会社員の方でも、日々の仕事をこなすための設備の縛りが少ない人は、ノートパソコン一台開けるスペースさえあればどこでも仕事ができるという場合も多いでしょう。そんな人たちの「場へのニーズ」を考えると、街にそういったスペースが増えて行くのも納得いきます。カフェもそのニーズを満たすものにあたるかもしれません。それプラスアルファの「うれしさ」があるかな?


これまで通りにいかないことや、予定や計画の通りにいかないことが出てきているのですから、新しく今後の予定や計画をつくって未来の「はたらき」「仕事」を見定めていくための「思考」「試行」「実験」「情報収集」が今日、必要なはずですよね。あるいは、そのときまで命をつなぎとめるために、今日・明日を生きるために、「ごはん」を食べて機関の燃焼・稼働をとにもかくにもつづけるのみ、というくらいに逼迫しているかもしれません。そこで、暗くなったり愚痴を行ったり感情をぶつけて他者を過剰に責めたり攻撃したりしている暇はないはずです。未来のための仕事をしている人ほど、例外なく「たのしい」はずなんじゃないかな?


お読みいただき、ありがとうございました。



青沼詩郎