屋外趣味

ふつう、多くのスポーツや競技で、その中でも球技において、たま(ボール)はひとつの場合が多いと思います。てか、二つ以上のボールを同時に用いる球技を私は知りません。あるのでしょうかね? ボールがプレイフィールドの外へ、遠くへ出て行ってしまったときにそのまま円滑にプレイを続けるためにコートの周囲にたくさんのボールを用意しておく、ということではなしに、ルールの適用範囲である戦場、土俵の上で同時にボールを二つ以上用いるスポーツ。ないですよね、なかなか。


現実の世界って、ボールがすごいいっぱいあるスポーツのようだな、と思います。いろんなところで、あちこちで、日々、ゲームがおこっている。ボールやコートが、至る所にあって、運用されているのです。それらの場から選んで、私は入っていくことができます。


ゲームを立てたっていいわけです。じぶんで試合を起こすのです。ですが、戦うには誰か相手がいります。私は、何かと、「壁打ち」しがちだなと思います。ひとりで、壁に向かって、「試合」のための練習を毎日やっている。頻度として「たまに」(ボールだけに)であったとしても、やっぱり、どこかで「試合」があるからこそ練習するのですが、でも、それだけじゃない気もするのはなぜか。それは、私のプレイする競技が、いくつもあるその中には、個人技の種目が含まれているから。みたいなことなのかなと想像します。たとえば、弓道とか。私が正しく理解していないだけかもしれないけれど、ゴルフとかも近いものがあるのかもなぁなんて思います。風とか吹きますしね。環境的な要因、天候などの条件の影響を受けるなかで、どう自分が立ち回るかが問われるのです。自分をいかに制するか。なんていうと、ちょっとおこがましいというか堅苦しいというか、おおげさというかそれでいて言葉が足らない、不十分なのですけれど。


家の中でできることを、あえて外でやるという楽しみがあると思います。「アウトドアですね」と言われれば、そうかもしれません。旧知の手法かもしれません。でも、私のルーティンにはなかったことだとすれば、私はそれに新鮮さを感じられるのです。たとえば、本を読むことだって、私は家の中でしがちでした。これを、外に出て、太陽の光を浴びてやるのです。家の中でやるのとは、だいぶ違うと思います。


一方で、「休みがある」となれば、私は何かと、どこかに出かけて行こう、何かしてこよう、としがちです。だから、「休み」に、ゴリッゴリに引きこもる。これも、かなり新鮮です。もう、一歩だって出ない。靴やサンダルに一切足を差し入れずに過ごすのです。なんか、「怠惰エネルギー」みたいなのが溜まって爆発しそうです。それが、なにかすごい表現を生んでくれそうな気さえします。


すでに出来上がっているごはんや飲み物を外で楽しむのは割とたやすいのですが、外でこしらえてその場で楽しむとなると、意外と設備とか道具とかのことを考えて、いろんなものを準備したり、手順や経過を想像して調整をはかったりしなければなりません。そのこと自体が、けっこうな遊びになるのですね。



お読みいただき、ありがとうございました。




青沼詩郎