歌う私の面の皮

Fukushima 50』という映画が公開されました。福島第一原発で起きたこと、それに立ち向かう50人?を描いた映画のようです。原作は門田隆将によるノンフィクション。震災から9年を経て映されるそれに、私も関心が湧きました。20113月って、およそ9年前なのですね。当時、ただ淡々と世の中の流れを傍観して過ごした自分がいたような気がします。


あの頃、いったい自分は何を考えて、どんな行動を起こしただろうと思い返します。覚えているのは、極力、それまで通りに、普段みたいにやってきたことをやれる範囲でやり続けたのだということでした。


私は演奏したり歌ったりということが日課といいますか、そうした音楽の活動をやっています。ですから、ひとりになれる部屋なんかで、それまでとどこが違うというわけでもなしに、楽器に触れて、音を鳴らしたり声を発したりすることを続けていました。


2011311日のことがあって、歌手によっては「歌う対象を見失ってしまった」みたいなことを言う人もいました。それくらい衝撃的なことだったのだと思います。私はといえば、もともと、どこか自分に歌うような感じだったために、何か世間や社会で深刻で重大なことが起きて、その影響範囲にたとえ自分が含まれていようと、歌う対象そのものを見失って、歌う行為そのものができなくなってしまうということがありませんでした。自分のような特定の誰かのような、それでいて誰でもない何かに歌っているような感じです。うまくいえません。非情な奴、とも無関心で無頓着で世間知らずで独りよがりで自分勝手な人、とも映るかもしれません。それが私なのです。ただ、あの震災のことがあってなお歌っていられる奴のひとりに、私がいた。そのことには違いありません。


今回の「新型」のことで私もいくつかの「歌う機会」を失ったのも事実です。ですが、それでも、私は歌っています。ときに、ひとりきりの部屋で。特定の誰かだけがいる室内で。あるいは、この事態の中でも、メリットとデメリットを見比べた上で決行を決めた主催による、不特定の誰かが集まりうる場で。


私は、協調性がないかもしれません。でも、いつもないわけではありません。歌うことをやめさせようとする圧力に対しては、私の面の皮は確かに分厚いかもしれない。他者に動かされにくいぶん、私には誰かを動かす力もろくにないのかもしれない。


ただ、歌声を持ち続けて、それはそれで流れている。社会に生きる自分の顔も持ちながら、です。


中止になってしまった機会に歌おうと思っていた、311日からの一連を思わせるようなあの歌もあったなぁと思います。社会に生きる自分の顔を借りてこそ歌う曲というのもあって、そういう曲はひとりきりの部屋で、自分のために歌うということはあまりありません。だからなんだということもないのですけれど、今年もその日付だけはまた、やってきつつあるのだなぁと。



お読みいただき、ありがとうございました。



青沼詩郎