つながらない自由

干渉しない、関わらないというのも、ときにマナーである。場合によっては配慮にもなるし、礼儀でもある。


あるバンドマンからまわってきたツイッター。その人が、ギターを携えて電車に乗っていたら、他のある乗客から「お前らみたいなのが感染を蔓延させている」といった意味の言いがかりをつけられたそうです。で、こうしたツイッターを読んだ他のバンドマンの中には、これに似たようなことが自分の身にふりかかることを危惧しつつも、自分は結局電車で楽器を持って移動するだろう、といったことをつぶやいている人もいました。


私も、この時勢ですが、楽器を持って移動する際に電車を利用することがあります。他人事じゃないなと思いました。言いがかりをつけられた際に、私はなんて言い返してやれるだろうかと想像もしました。言い返すのはベストじゃなく、無視するのがいちばんだという風にも考えました。実際そんな場面に遭遇したら、そうなる可能性が高いだろうなと思います。


楽器を持って電車に乗って移動する人を指して非難するその人の主張が、なんで「言いがかり」だといえるのか? それは、その楽器を持って電車に乗る人が、実際に感染を蔓延させたという事実を示す証拠がどこにもないことが主な理由だと私は思います。もちろん、その非難がまったく的外れだともいえないかもしれません。いえ、電車内という公共の場で、おそらく初対面であろう人に向かって、いきなりそのような無根拠な主張を押し付けることの不当性についていえば全力で「的外れ」であることを肯定できるのですが、万が一か、そうした、楽器を持って電車で移動する人が実際にウィルスの媒介になった可能性がまったくないとはいえません。


ですが、同時に、その非難をした人自身がウィルスの媒介になっている可能性だって、同様にあるはずです。その事実があったかどうか証明できない点についても、同様です。ですから、とても私には、その日たまたま電車内に居合わせたであろう人が、電車内にいた他の人が楽器を携えていたというだけで、その人が感染蔓延を助長しているなどという主張をする正当性など、微塵も認められません。


これに似たようなことが、ネット上の「炎上」でしょうか。私には、その経験はありませんけれど、おそらく、「どうしてあなたがそんなことを?」と思うような、無根拠な主張が多く含まれているのじゃないかなと想像します。炎上というほどのものでなくても、そうです。根拠があったとしても、その目的は非難することによるマウンティングにあるとしか思えないようなものが多く、とても、両者の間の関係を改善するためとか、両者を含む周辺の環境の改善のためとは思えないようなものばかりなのではないかと想像します、これもええ、想像ですけれど。そうしたものを、正面から受け止めてしまって、気に病んでしまったり、生活に悪い影響を与えてしまうのは得策と思えません。


ネットが手伝って、可能性を拓いてくれることは大きいです。「つながる自由」があります。ですが、「つながらない自由」もあるはずですよね。「いつでも開く、通ずる可能性」は、逆にいえば、「いつでも閉じられて、遮断できる自由」であるべきなんじゃないでしょうかね。「閉じたり、遮断したり」するいちばん手っ取り早い方法は、「気にしない」「無視する」ことだと思います。



お読みいただき、ありがとうございました。



青沼詩郎