リモート会議の良し悪し

想像です。たくさんの人が、それもかなりたくさんの人が一堂に会さず、ネットワーク上の一堂に会する。ひとりひとりの身体的な居場所は、それぞれの自宅などです。なるべくひとりひとりが、バーチャル一堂に会しているあいだ、邪魔が入りにくいように努力して工夫や根回しをほどこすはずです。それでも、一堂に会する人数ぶんだけ、その努力のすき間が生じうるはずです。まどろっこしくてすみません、何が言いたいのかといいますと、やっぱり、ネットでのリモート会議のようなものに参加する人数が多ければ多いほど、それぞれの居場所においてですね、たとえば、


・「お茶が入ったよ」などと、家族や同居人なんかがカットイン

・飼い猫や犬が話しかけてくる。用事を持ってくる。アクシデントをつくる。

・宅配便が来ちゃったり

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なんてことが、リモートに参加する人数ぶんだけそれぞれの場所で起こらないなんて、どうしていえましょう? もちろんそれぞれは、「時から時まで、リモート会議するから入ってこないでね」とあらかじめ家の人に伝えておくとか、当然宅配便の時間指定をそこに重ならないようにするとか、犬猫もロックアウトしておくとかほかの人に見ておいてもらえるよう頼むとかいったよいうな努力をするはずですが、リモート会議に参加する人数が多ければ多いほど、その不完全さ、確率的に生じるほころびがどこかにあらわれる可能性は高くなるわけです。


そうすると、なんといいますか、リアルで同じ空間にあつまって、音も匂いも温度湿度などの肌感覚も共有している場合の一体感、緊張感みたいなものは薄れます。それが、負のプレッシャーみたいな側面もあるでしょうけれど、背筋が伸びるとか、仲間と一緒に、一緒の時間に一緒の場所でがんばろうとする力が出るなどの良い効果もかならずあるはずです。それも同時に、薄れてしまう。自分がその場の空気に干渉すると、その空気を共有する全員に影響します。それが、リアル一堂に会する会議です。どうしても生理的に耐えられなくなってトイレに行くとかするときは、なるべく空気を動かさないように、影響が小さくなるように静かに退出・中座するなどすると思いますが、リモートだとその緊張感もないでしょう。それが良くも悪くも、悪くも良くも。


そもそも、そんな、縦横奥行き肌感覚聴覚嗅覚×時間の共有が、リアル空間の広さにくらべればはるかに矮小と言わざるをえないパソコンのモニタに押し込められてしまう。「一堂に会する」のは、それだけ、ひとりひとりをある意味で縛る、強い制約をかけることでもあります。縛りや制約が奪うものもあれば、当然生み出すものもあるはずです、良くも悪くも、悪くも良くも。


とまぁ、未経験なくせにリモート会議の長短を想像だけしてはみました。実際に経験なさっていたら、もっと「実際、こんなだった」があることと思います。



青沼詩郎