リモートプーさん

星野源さんが、なにやら動画を公開したらしい。その動画に含まれる歌や演奏に、あなたのほかのパフォーマンスを乗っけたり加えたりしてみなよ、というようなことらしい。


「家にいよう」「Stay Home」のことばを放つだけなら、さほど苦労いらないだろう。その言葉が重みを持つかどうかは別として。星野さんの動画に、自分のパフォーマンスなりなんなりを合わせる、そのための撮影や記録を、家だとか、自分や他人にとって安全な場所でやっている「その時間」だけは、少なくとも、Stay Homeの理念がなぞられて、実現する。星野さんの放った動画は、その観点でとても具体的かつ確実な妙案だと私は思った。


私は、もともと、インドアでの活動が好きである。楽器の演奏や歌唱を愛好し、レパートリーを練習したり、単に自己発散のためにそれをしたり、あるいは新たなレパートリーを開発したり、独自のものの創出を試行錯誤したりしていると、時間がいくらあっても足りない。社会とつながる活動のために費やす時間が惜しいくらいだ。


そんなだから、あまり、誰も私を遊び(社会的なつながりの場)に誘ってこない。もちろん、まったくないわけではない。そんな私だとわかったうえでか(あるいは知らずにか)、誘ってくれる人も、稀にだが、いる。その誘いに応じて過ごす時間を、私は堪能できる。それは、わたしが個人単位でのインドア活動をすればするほど高まる楽しみだともいえる。ひとりで内に籠れば籠るほど、その種のベクトルを仮に「緊張」として、その緊張が高まるほどに、弛緩へのエネルギーが溜まっていく。弛緩が、爆発的な解放感をともなうものになる。たとえば、家の外に一歩出ただけで「気持ちいい」となる。「緊張」がなければ、なかなか得難いことである。


先日、オンライン上で、友人とその「弛緩」を試してみた。小さな画面上に、友人の面々が、並んだり、入れ替わりながら現れたりする。小さなスピーカーから、全員の音声がミックスされて出てくる。私の所在地は、家のままでだ。満たされるものが確かにあるのと同時に、決して「集い」の代替手段として十分といえるものでもないことを私は理解した。


においが伝わらないので、いまおならをしたら臭いかなという心配が無用になる。そのことが面白かった。細事かもしれないが、新鮮だった。ほかにもっとあるだろうと言われれば確かにそうだけれど、現代人の視聴覚偏重の行き過ぎを思うと、馬鹿にできないかもしれない。「Stay Home」の毛並みを逆撫でするようかもしれないが、もちろんその意図はない。


「におい」を仕事にしていた人たちも、つらいよなぁ。


と思ったけれど、もともと「ネット」に頼らないで生きてきた、この状況にも強い人たちかもしれないとも思う。どうなんでしょうね。)


お読みいただき、ありがとうございました。



青沼詩郎