仲がいいってどういうことか

息子が私のうちに2人います。1歳と4歳の子なのです。上の子の誕生日が最近来て、下がまだなので、彼らの学年差は2つです。


この2人が、よくけんかをします。けんかといいますか、下の子の干渉を上の子が嫌がるという感じが正確かもしれません。たくさんのおもちゃが家にあって、それを下の子がさわるのを、上の子が乱暴に取り上げたり拒絶したりするというパターンが多いです。


1歳と4歳の力の差は大きいかもしれません。それにしたって、例えば、学年差2つの31歳と34歳だったら、そんなに大きく違わないでしょう。同世代ということで、価値観や感覚の共有がしやすい場合が多いのではないでしょうか。


2つ差の幼児どうしだと、「ぼく、おもちゃで(じぶんの思うとおりに)遊びたい」という意思がぶつかりあいやすいのかなと思います。そりゃそうだよなと思います。譲り合って、和が生まれることの嬉しさとか、知らんしどうでもいいんだろうなと。もちろん、上の子が下の子に譲る機会がないわけではないんですよ。そのときによるのは当たり前のことなのですが。


私は30代男で、5つ上の兄がいます。


これくらい離れていると、どんなライフステージにおいても、距離がちょうどいいんです。ぶつかりにくいのです。子ども時代なんて、力の差もはっきりしているし、兄にしては幼い私は「やれやれしょうがないガキだな」と、けんかにもならない距離感なのです。母からは、私の子守りは兄が担ったから助かっていたという話を幾度となく聞いています。私も兄を慕っていました。兄のすることはうらやましかったし、自分もそうしたいと思いましたが、その望みが「同時期」に重なることがなかったのです。これが、5つ違いの距離の利点だったなと今でも思います。


現在の、我が家の子ども2人の話に戻しますと、私が経験した5つ違いの距離感とは明らかに違います。やっぱり近いのです。だからこそ、ぶつかるのは仕方がないなと私は思えるのです。よくわかる、理解できるつもりでいるのです。要望、欲求の方向性が、同時に重なり、それがぶつかるのが自然なことだと強く思えるのです。性別も同じで、歳の近いどうしが、せまい家の狭い部屋にずっといるのですから。


仲がいいというのは、何よりです。仲がいいって、いい距離を保てている関係も含まれているのかもしれません。へんに馴れ合って、不自然に距離が近いのはかえって気持ちが悪いくらいかもしれません。あらゆることを同時に共有するのでなく、時期や空間や対象が、きっちり分かれているからうまくいくこともあるかもしれません。他人みたいだけれど、仲がいい。それもあるのかもしれません。無理にそれを「仲がいい」と言わなくてもいい気もします。ヨソはヨソ。その成立が、気持ちよくはまっていればそれでいい。あいつはあいつだし、私は私。言うまでもないことかもしれません。


あらゆる人が、家にいる時間を増やしているであろう今の時期。自分や、自分のまわりの人やものごととの距離を考える。その距離、その隔たりにあるものってなんだろう。その隔たり自体は何でできているんだろう。そういったことを考えて、自分の思うことをやったり、今はできないにせよいずれできるようになるにはどうしたらいいかを考えてできることをやったりしているだけでも、毎日がどんどん過ぎていくように感じているこの頃です。



お読みいただき、ありがとうございました。



青沼詩郎