日記

日記 · 11日 5月 2020
気って、緩みますよね。なんででしょうね。その必要を、感じなくなってしまうのでしょうか。もう、危機的な状況、「ヤバイ!」「本当のピンチ!」は過ぎたと思うのでしょうか。で、それに対峙する際の態度を緩めてしまうのです。もういいよね、と。...
日記 · 09日 5月 2020
しばしば思い出すのが、東日本大震災直後からしばらくのあいだ、どこもかしこも節電ムードだったことです。コンビニの蛍光灯。幹線道路に向かって存在をアピールする、お店の電光つきの看板。見慣れた景色の中から、電気による光量の多くが消えました。...
日記 · 08日 5月 2020
なんか、すごくいいキャッチコピーみたいなのを思いついたとします。ギャグでも、心に刺さる詩でも、箴言でも名言でもかまいません。絵でもイラストでもいいでしょう。 で、それ、いいね! とか思ったりする、言ったりもする。 ノリで、 「Tシャツにでもする?」 「いいねー欲しいかも。」 なんて言ったりもする。...
日記 · 07日 5月 2020
少年や少女が活躍したりしなかったりするさまを、ありのままに描いた作品。そういうものを、ジュブナイルとでもいうのでしょうかね。 そのへんのことを意識すると、タイトルを思い出すのが『十五少年漂流記』。私自身が少年だった頃に読みましたが、話は、正直あまり覚えていません。どんな冒険譚だったかな。...
日記 · 06日 5月 2020
目的と手法のお話です。日記として、ゆる〜く。
日記 · 05日 5月 2020
高齢時代の都市論のようなものを述べた新書を読んでいて、「住む地域と住まない地域を分けて、コンパクトにまとまってインフラ効率よく生きる」というような提案を見たことがあります。確かに、いろんなところにばらばらぽつぽつと人が住んでいたのでは、いちいち管やら電線やらを引っ張って、道を敷くなどし、インフラを確保しなければなりません。この国の人口が今後どんどん減るにしても、多くの人がそうやって散らばって住み始める度にそうしたインフラ整備の手間ひまお金をかけて供給を続けていたら、どんどん苦しくなるというのもなんだかわかる気がします。 ・どちゃっと固まって、より集まって住んで、人のまったく住まない地域を広大に持っておく ・うっすらとまんべんなく、大きな網目ですっぽり地球を覆うみたいに散らばって人が住む これって、果たしてどちらがいいんでしょうかね。 私が飛行機乗りだったとして、夜に、空高くから地球を見下ろしたら、街の光が濃い地域と、まっくろな闇の地域との差がはっきり見えるのかなと想像します。でも、実際は点々と、小さな光が中途半端に散らばっている一帯が地表の大部分なのかなとも想像します。(それ以外、圧倒的に海。)集中と分散、その混在が現実なのだろうなと。 10人が集まって住んでいたときに、1という分量のある「問題」が起こるとします。それが、人口が100人になったとき、問題の分量もきっちり10になるとは限りません。10人が100人になった時には問題の分量は8になり、10人が1000人になったときには問題の分量は150になるというような具合に、実際のものごとの相関には複雑なカーブがあらわれることが多いのではないでしょうか。 ちなみに私は、結婚して妻と今の家に住み始めました。いまは、そこにこどもが2人加わりました。同じ家の中で、人口が倍になったのです。こどもの出生以前からあった問題がそれで倍になったかというと、そんな感じではなく、問題の質がまったく異次元のものになったという印象です。 私がトイレしているときにこどもが「トイレ」というパターンは、最近増えました。上の子のおむつがとれて以来の問題です。我が家にトイレはひとつしかありません。人口密度よ…。 お読みいただき、ありがとうございました。 青沼詩郎