プラットホーム

孤独を愛する人でも、同様に孤独を愛する人には親しみが湧く。

きみも独りで立って生きているんだな、という孤独の仲間意識みたいなものが芽生える瞬間があるように思うのだ。

孤独が好きだということは、他人が嫌いだということではまったくもって、ない。

むしろ他人のことを認め、その違いに敬意を払えるような人ほど孤独を好むんじゃないかと僕は思っている。

お互いの道を邪魔せずに、おのおのに進めばいい。そんな相互理解がちょっとした孤独の仲間意識の正体かもしれない。

誰かの道を邪魔せずに自分の道を進むことは、案外むずかしい。

意図しないところで何かがつながりを持ってしまうことがしょっちゅうである。

自分の外側の世界に触れながら、自分という認識が形成されていく。

自と他の境界線。人生のはじまりの時期、特に10代なんかは、それを築く時期ともいえる。

学校のクラスや学年の中でグループや派閥が出来たりするが、自と他の境界線があいまいなためかトラブルも多いようである。

集団生活を強いられる義務教育の9年間で、そうしたトラブルの中から自分を確立していけばいいのだが、大人になってもずっとグループごっこをやっている人も少なからず見受けられる。

そういう人ほど、自分の道が妨げられると怒って他人のせいにするし、他人の道も知ってか知らずか妨げたりする。

他人と重ならない、ぶつからないように別々のことを探し、それぞれにおこなうことで結果的に支え合う。

それが孤独を愛する者の仲間意識だと思う。

孤独を愛する人ほど他人を支えているし、自分も支えられていることを理解している。

すれ違う数多の他人と、心の中で手を振り合う駅のホームで。