恒温動物の音楽家

アナログとデジタルの音質の違いを、音に温度や触り心地があるかのように表現されることがある。


最終的には、どちらもスピーカーのコーン紙といった物質的な振動に変えて伝えられるのに、そういった違いが生まれるから不思議なものである。


アナログもデジタルも、音を電気信号に変換していることは同じである。(ですよね?)


違うのはその情報の置き換え方で、アナログは無段階に、デジタルは限られた段階で信号への変換がおこなわれる。(ですよね?汗)


そうした性質がゆえにアナログの方が、無段階さが生きてくるくらいの次元での繊細な表現に有利であるらしい。


しかしその違いは、数十万円クラスのオーディオシステムで聴いた場合にやっと生きてくるものだともいう。


僕はここ1年以内くらいに、レコードプレーヤーを買った。


6000円くらいで、小さなスピーカーまで本体に組み込まれた一体型の、チープなオモチャのようなプレーヤーである。


とてもアナログとデジタルの繊細な違いが体験できるクラスのものとは思えないのだが、なんか違うのである。


オーバーにいうと、デジタル信号の再生音は疲れる。刺されるようで、ストレスである。聴き疲れする。


アナログは、ほんわかして、かわいいのである。一聴した瞬間に、心を持っていかれた。誰がどこから見てもかわいい子犬を見たときの感覚に近い。ときめいてしまった。


高価で大規模なシステムでアナログによる再生音を聴いた体験が、僕にはほぼない。


かつて吉祥寺の「Funky」の2階で食事したときに、バーカウンターの一部かと見違えるような大きなオーディオシステムから再生される音に包まれたとき、本当に演奏がそこにある気がした。「再生」ではなく、「生」そのものであったように感じたことを覚えている。


生命感にはどうしてか、温度のイメージが付きまとう。体温を保たない生物だってこの世界にはたくさんいるのに。


音楽を奏でるのは主に人間なので、すばらしい環境ですばらしい演奏を聴いたとき、そこに演奏者の体温を感じるのだろう。


時間や空間の隔たりを越えて温度を伝える、音、音、音。


音楽が聴覚のみによる体験ではないということを、改めて思う。