なんだかなぁ…の雲

ひとがおもしろがるようなことは、取り上げられる。

報道されたり、なんらかの形で発信される。

報道された張本人にとっておもしろいことであっても、おもしろくないことであってもだ。

当事者にとってはおもしろいことでも、ただの自慢は無視される。自慢になりうることでも、他人に価値をもたらすものだと、周知されて広まることもある。

ネットやSNS上には、自慢も売り込みも、よろこびもかなしみも、嘆きも叫びも、ありとあらゆる種類の思念がひしめいている。

発信のハードルが低い。



なんだかなぁ…と思うこと。

他人の恋愛である。

キミたち…それでいいのかい?

と心の中でつぶやきたくなるような、他人の恋愛模様を垣間見ることがしばしある。

本人たちは「それでいい」から付き合ったりしているのであろうけど、はたから見るととてもそれでいいとは思えないのだが…ということがある。どうでも良いおせっかいだが、恋愛には本人の世界を広げる効果もあれば、視野を狭める副作用(主作用?)もある。

姪っ子のカレシがビックリ人間である。

なんか、30代の僕らが見たことのないようなSNSを使って、「教祖様」的な人気を博している人らしい。

ぱっと見た感じ中性的な男の子である。

姪はそのSNSにおいて、カレシ本人に自分たちが付き合っていることを紹介されたりすることが関心事らしい。

また、知らない人から「〇〇くん(姪のカレシ)のカノジョさんですか?」といったメッセージやフレンド申請が来たりするそうだ。

恋愛うんぬん以前に、価値観がもう30代の僕にとっては新人類である。

「なんだかなぁ…」という嘆きがシックリくる。

姪の母親(僕の義姉)が姪に質問する。

義姉「そういうの(SNS)見て、どう思うの?」

姪「いいなぁと思ったら参考にしたりする」

ごもっともである。

僕にも参考にしたい「ひとごと」はたくさんある。

その参考にしたいと思える「ひとごと」に決定的な違いがある。

いや、見た目やかたちが違いすぎて僕がカルチャーショック症状を引き起こしているだけで、案外本質的なことは変わらないのかなとも想像する。

本質的なことを、どのようなかたちで表現したり、表出させることを美しいと思うか。

美徳に本質はあらわれる。

音楽を好み、人生の大部分を費やしてきた僕は、そう思うのである。

10代は、未来の広がりや、純粋に未知であることが多い。本質にまだまだたくさんの雲がおおいかぶさって見えないこともあるだろうと思う。その状態もまた本質であるけれど、その雲が晴れた状態を知らない。

地球上のどこかにいつも雲はある。

刻々と流動して、大地は見え隠れを繰り返す。

同じ位置からでも、観察できることはそのときによって違う。

自分の観察能力にも時によって差異がある。

姪よ、君と僕は分かり合えるのだろうか。