家族経営

家族経営、というかたちがある。

すごいことだと思う。

公私ともに家族で手を結んで生きていくのは、自然なことである。

今の時代の「個」に対する見方の中では、その自然なことがかえって際立つのかもしれない。

親は親、子は子。夫は夫で、妻は妻。

ウチはウチで、ヨソはヨソ。

地域の雷おやじが地域の子供を叱る光景は、もはや夢かまぼろしか。

夫婦間の財布は別のまま。おこづかい制という響きに懐かしさを感じる。

家族で同じ集団を形成して仕事をしていると、なにもかも筒抜けだ。あらぬ誤解を生まずに済みそうである。家族が憂鬱そうな顔をしていたとき、嬉しそうな顔をしていたとき、話さなくても理由がわかる、という「暗黙の共有」は、家族経営ならではのものがありそうだ。言葉だけでは伝えられない社内の雰囲気、といったものも、同じ場を共有すれば「伝え方」において間違うことはない。

子が親の仕事に従事する、といったことがある。親が退いては継ぎ、2代目、3代目…と続いたりもする。

ひとつの会社を共同で切り盛りする夫婦のもとに生まれた子は、その成長の過程で、社会における人と人とのやりとり、仕事のやり合い、お金の動き、といった世の中の流れに触れる機会が多いと思う。これは、子の成長にとっては影響が大きい。

そうしたリアルな大人の動きを自分の目で見るから、その仕事の良いところも悪いところも、親の長所も短所もたくさん理解したうえで「この仕事を継ごう」とか「継いでなるものか」と、子は自分の考えを築き、身の振り方を自分で決める。

最近、僕と同い年(僕は今31)で、親の仕事に従事している人の話を聞くことがあった。その人は、学校を卒業してから新宿の観光会社に就職し、何年か働いてから実家の工務店に入ったそうだ。2011年の震災で、当時職場のあった新宿歌舞伎町が閑散とする様子を目の当たりにし、何か思い至るものがあったらしい。現在は工務店の敷地を活かしてカフェを開き、ワークショップを企画したり、地域のものつくり作家と住人の間を取り持つような存在になりつつある。国内材の木肌が露出した内装で、工務店としての資源や技術と、前職のサービス業での経験が運営に活きているようだった。

家業への反発から外へ出て就職する人も多いだろうが、こうして外を見てウチに戻ってくる人もまた少なくない。

夫婦間や家族間の関係が仕事に大きく影響するのが、良くも悪くも家族経営だ。

誰もが何らかの仕事をする。それによって生きていく。そのまとまりが家族を中心につくられるというのは、つくづく自然なことのように思う。

僕なんかはちょっとした憧れを抱いてしまうくらいだ。そういえば、家族経営がドラマの舞台になることは多い。ルーツを同じくする人間が近い距離でひしめく様子は、感情を切り取って描きやすいのかもしれない。

いくら物理的に距離が近くても、いくら同一の仕事に従事していても、ひとりひとりが自立した心をもって共通の事業に向かっていくさまはクールだと思う。

家族が職場でキーキー言い合ってるのは、テレビドラマの中だけにしてほしい。

もっとも、そういうドラマを見ない僕である。