大人〜体得に向くセンサー〜

大人とこどもは、生きてきた長さがちがう。

長く生きてきたぶん、いろんなものを見るし、いろんな経験をする。

それら見たもの、経験してきたものに基づいて、行動を起こしたり判断したりできると、見たもの、経験したことが身に着いたといえる。

身に着いた「体得」が増えていくと、やがてどこらへんからか、「大人だね」と言われたり、自分は「大人だ」と思い始める。そうして人はいつの間にか大人になる。

世の中には魅力的な大人がいる。

そういう人は、「ほんとに大人なの?」と誰かに言われたり、自分のことをいつまでも「大人だ」と思ったことがない。そんな場合があるようである。

大人だとか言われたり思ったりすることが、大人であるかどうかの基準だとするのなら、いつまで経っても大人にならない人が出てきてしまう。

そういう人でも、身に着けた「体得」はたくさんあるし、常に増えていくような生き方をしている。

先ほどの基準を訂正するのなら、大人になるということは、体得をもとに新たな体得を獲得できる人になる、ということなのかもしれない。

体で何かを感じ、知り、覚える瞬間というのは、大人だとかこどもだとかに関わらず、楽しいものである。

それを資源に、また次の新たなことを感じ、知り、覚えようと体が向いたとき、その人は大人に近づいたといえるのかもしれない。

僕自身が大人かどうかと言われると、まあそうね、31歳ってとこかな、とでも言いたくなる。31歳が大人かどうか、人によって違うだろう。多くの31歳が体得していそうなことも、いなさそうなことも、僕にはたくさんありそうだ。

大人って、終わりのないものね。