犯罪はなくならない?

緻密に練られた詐欺のニュースなんかを耳にすると、そのアタマを別のことにつかえばいいのに、と思います。人間の心理をよく分析していて、こんなときはこうする、という細かいフローチャートが用意されていたりするのかな、と想像します。

一見すごく知能的な犯罪が多いようにも思えるのですが、案外そうでもないのかもしれません。いわゆる、「下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる」的な仕掛け方をしているものも多いようです。メールをきっかけにしたものなんかがそうでしょう。何千通、何万通と送って、99.9パーセントの人に迷惑メールとして捨てられたとしても、たった1人クリックして引っかかって、大金を差し出してくれればそれで大成功といえるのです。

メールの場合は「数撃つ」ことのコストが非常に低い、あるいは皆無に等しいのでそれでよいのでしょうけれど、「劇場型詐欺」と呼ばれるよう大がかりなものはある程度下調べをして、ターゲットを絞っているのかもしれません。そうした下調べにかかる時間や労力も、やはりもっと道徳的で建設的なことに活かせばよいのに、と思うのですが。

ところで、ゲームアプリが利益を生み出す背景には、こってりたくさんの無課金ユーザーとひとにぎりの課金ユーザーという構図があるでしょう。1人でも多くのユーザーにまずは入り口の扉を開いてもらって、その中のごくひと握りの者に2枚目の「課金」の扉を開いてもらえれば、ビジネスとして成立するのです。

その対極にあるのは、限られたユーザーに手厚い対応を重ねて、たま〜に大きな買い物をしていただくというな、たとえばカーディーラーといったような商売でしょうか。

お金にありつく方法が合法的で対等な取引によるものか、違法で一方的な搾取・略奪によるものかという違いはありますが、詐欺にも商売にも、「どのくらいの規模にどの程度のはたらきかけをするのか」という点に共通性を見出すことはできそうです。

つまりは、それくらいほんのちょっとの方向の違いで、公平な方法で幸せを高めることと、アンフェアなやり方で不幸におとしめることが分岐するということでしょうか。表裏一体のものとあらわしても良さそうです。

いいことをするやつがいるということの裏には、悪いことをするやつがいるということ。

これって、犯罪はなくならないと言っているようなものでしょうか。

そう、簡単にはなくならないでしょう。なくなるものなら、とっくになくなっているはずです。