おもいでのせいくらべ

  共通の体験を持つことを重ねていくと、語り合える思い出が増えていくことでしょう。出会ったばかりの者どうしには、それがありません。最初は親しいというわけではなかった仲でも、共通の体験がお互いを結びつける媒質になるのです。


  初対面の者どうしでも、お互いの持ち合わせている経験になんらかの類似性を感じ、すぐに仲良くなるということもあるでしょう。実際の体験の細部や、具体的な内容は違っても、類似性を見出せるのです。


  同一の事実に直面し、経験を共にした者どうしでも、どこをどうとらえているかがまったく違います。その相違が思い出語りの楽しみでもあるし、共にしたはずの経験に新たな側面を見出すおこないでもあるのです。


  73年余りが経過している戦争のことだって、あらゆる人があらゆる種類のことを語り尽くしたようでいて、まったくそんなことはありません。広く知られていることが覆いかぶさっているがゆえに、見えていないこともあるでしょう。また、そうした経験の多くを持って、すでにあちらの世界に渡ってしまった人がたくさんいます。むしろ、こちら側にいる人の方が少なくなっています。


  戦争や災害、事件や事故など、何かを学び、知るきっかけとなったものが何か特別なおおごとであったとしても、そのことが日常に取り込まれ、まわりだす瞬間がどこかにあるのでしょう。それははじめは一瞬かもしれないけれど、だんだんとその頻度や1度に灯る時間の長さを増していくのだと思います。そうしていつしか、いまのおのれの行動や思想の決め手になっているものがなんなのかを振り返ってみると、そうそう、あの時の……という風になっているのでしょう。


  共通の出来事をどう感じるかがそれぞれ違うように、戦争からの73年間も、震災からの8年間も、それぞれの長さがあることでしょう。おお、僕とあなたの感じているそれはこんなに違うものか、などと比べ合う機会を持つことで、忘れていいことと忘れるべきでないことに線を引いたり、あらためて知るべきことや感じていることを分け合ったりすることができるでしょう。


  出典元がなんだったかなんて意識されることなく、僕の中にもそれは生きています。



お読みいただき、ありがとうございました。