ナンセンス

なんだかよくわからないもの、神秘的なものを考える。答えは出ない。結局よくわからない、となる。考える時間が積み重なって、次第に苦しくなってくる。何かきっかけがあってそれをやめたときの解放感が、考える者を気持ちよくさせる。それでなんでか、いつの間にかまた考えている。


ちょっと考えるのをやめるきっかけをくれる、そんな者との関わりを、考える人はおのれの身の周りに持つのかもしれない。こちらからはたらきかけて生まれた関わりでなくても、嫌じゃないから、認めている、許している。そんなことでじぶんの身の周りが埋め尽くされていくようなことはないか。


意味をなさないおかしみがある。そのおかしみを説明するのはむつかしい。でも、確かにおかしいのである。思えば、何かをつくることだっておかしいのだ。(ここでいう「おかしい」とは、いかれているとか、理解できないとか、そういった意味にとらえてもらってもかまわない。確かに、それも一理ある)なんだって僕は、ことばを綴るか。音を鳴らすか。線を引っ張り、筆を滑らせ、境界を顕現させるか。なんにもしなくたっていいのに、おかしいじゃないですか。ここでいう「おかしい」とは、笑えるとか、歓迎をもってそれを受け入れたいといった気持ちを示す。


伝えたいことと伝えたい対象があって、そのために表現のしかたやかたちを工夫することがある。いっぽうで、「勝手ながらわたしが考えたことをここに置いておくから、ご興味のある方はどうぞご自由に」といった具合に、足跡をこの地平に残すみたいなことをすることもある。それは、どこにでも転がっている石ころみたいな見た目をしているかもしれないし、ちょっとばかりきらりと光る、美しさやはかなさを感じさせるものかもしれない。


おかしいね、と思ってもらえたなら、わたしもおかしい。


お読みいただき、ありがとうございました。