後見の明?

5月の連休に突入してすぐの頃、新しげな万葉集の本を書店で見かけた。店に入って正面、いちばんあらゆるお客さんの目に触れるであろう場所に置かれていた。写真がページ毎に必ず入っていて、現代的な意訳や解釈が添えられた美しい装丁の本だった。好きな時にゆっくり見てみたいと思って衝動買いするところだったけれど、店に入ってきたばかりだったし、他にもいろいろと見てから決めることにした。結局そのときは他の本を買うことにしたから、僕にとっては時期じゃなかったのかもしれない。


何かと世間で話題にされて、盛り上がりを見せたかのようなものをそのときすぐに自分に取り入れることを避けがちな僕がいる。ほとぼりが冷めて、それでも自分との関連を見出すなんらかのきっかけがあったときに、初めて「今だ!」と思う。みんながこぞって話題にした時期は過ぎて、それでも僕は今でこそおもしろそうだ! と思ったときに取り入れるようにしている。もうまわりにそのことで盛り上がっている人なんていなくなって、それでもそのことに強い関心を抱いているじぶんの感受性を手がかりに、僕は取捨選択をしているらしい。世界でじぶんひとりだけになったとしてもそれをおもしろいと思えるのだとしたら、それはとても貴重で重要なことのように思えてる。ただ単に僕が遅れているだけ、と言えなくもないが……こういう人をビジネス用語で、ラガード(遅滞者)というんだったか。


ずーっと昔からある万葉集が「流行り廃り」の対象となるのも何か違和感がある。いや、別に構わないのだけれど。万葉集くらいになると、そういうものと一線を画す存在にも思えるが、万葉集に娯楽や教養の素材としての側面を見出し、出版物を計画してつくった人がいるのである。冒頭の書店で僕が見かけた本はきっと、「令和」という元号が発表されるよりも前から計画されて作られた本と思って間違いない。さすがに4月の頭に新元号が発表されてひと月であの本が店頭にならぶとは思えないからだ。奥付を見て発行日をチェックしたような気もするが、覚えていない。あるいは、新元号が万葉集からの出典になる可能性はずっと示唆されてきたという可能性もある。僕はちっともそのあたりに関する情報について明るくないのでなんとも言えない。


つくづく先を見る目がある人がいるなぁと思う。いや、素材が万葉集だから、先ではなく「後ろ」だろうか……どちらにせよ、見る目があることには変わらない。見習いたいものである。


一方で、世間とズレたじぶんの「見る目」も大事にしたい。


お読みいただき、ありがとうございました。