幸せの根拠 〜And Your Bird Can Sing〜

ビートルズで一番好きな曲は何か? と訊かれて、そんなの簡単に選べない! なんて苦悶してしまう程に、私のビートルズに対しての愛は複雑ではありませんし、知識も浅いです。


でも、「好き」についてまじまじと思うと、それはそれでけっこう考え出して、悩んでしまいます。「好き」ってなんだろうか? と。人によって解釈が異なるし、場面によっても解釈を選びそうです、同じ人との対話だったとしても。


すごく余談かもしれないのですが、昨日、銀座の楽器屋さんに用事があって行ったら、銀座の街の大きな交差点に、大所帯の撮影クルーがいました。カメラの向けられた先には「あなたは今、幸せですか?」と書かれた、人間の首もとからひざ下までがいっぺんに隠れるくらい大きなボードをぶら下げた、インタビュアー役(?)の、カンニング竹山さんがいました。


うわぁ、あの質問いきなりぶつけられたら、俺、たじろぐわぁと私はインタビューされてもいないのに思いながら交差点を足早に、さも興味・関心なさげなふりをして通り過ぎました。「幸せか」ってなんだよ。幸せに決まってんだろ、とも思いますし、え、俺、幸せなのか? という一見相容れないような思いが同時に浮かびます。


答えに悩むような質問は、相手にそのまま返してやりたくもなります。ではあなたはどうなのですか? と。でもそれをするなら、まず仮にでもじぶんの答えを置いてやってから相手に返すのが、逃げないスタンスといいますか、思いやりといいますか、議論の礼儀作法といいますか、そんなような気がしないでもないのですが。


しゃべりながら、結論が揺らいだっていいわけです。あ、やっぱ私、あれが好き。とか、やっぱ私に幸せは難しい、でもいいのです、答えが変わってしまったって。そのために人と関係し続ける、生き続ける、何かをし続けるのでしょうし。もちろん、「あなた揺らぎましたね」といわれて首を縦に振らざるをえない事実をひとつ作った、ということにもなります。負けず嫌いさんだったら、揺らいだことを隠して心の中でかつての自分を省みて、恥ずかしくなりつつこの先の身の振りかたを随時選んでいくようになるのでしょうかね(それは私か)。


冒頭の「ビートルズの曲で何が一番好き?」という質問に、私がはじめに思い浮かぶのは「And Your Bird Can Sing」です。理由は、この曲のサウンドに、ビートルズの先鋭性を感じたからです。私とて、この曲に出会う前にもビートルズのことは知っていましたし、とても有名とされるようないくつかのビートルズの曲たちを聴いてはいました。でも、じぶんの論理が及ばないところで、脳みそのいちばん深いところで、私の感性が反応し、なぜこうも「ビートルズをお手本とせよ」とおっしゃる音楽の先輩方が多いのか、若くして有名になり活躍しているあの人もこの人もリスペクトの対象としてビートルズを挙げるのかを理解した、その引き金となった最初の曲がこの「And Your Bird Can Sing」だったのです。ギターの複数の弦がリズムを合わせながら協調しつつ対抗しつつ、今でこそ「ツインギター・サウンド」として確立されている(確立され切っている)、鋭くそれでいて滑らかなあの表現を、だれよりもずっと早くやっていたんだと知って、そのカッコよさに純粋にしびれたのです。ああ、これは、今までに私が好きだと思っていた音楽たちの礎であり、始祖であると、その脈々とした音楽的語彙のつながりを実感したのです。


歌詞がどうとかをもっと突き詰めていけば、私の好み、「ビートルズの曲で何が一番好きか?」という質問への答えも、どんどん変わっていくかもしれません。でも、「And Your Bird Can Sing」にしびれた事実は変わらない。こんな体験があって、深堀りすれば答えは変わるかもしれないけれどと前置きした上であっても「バシ!」っとすぐさま直感的に思い浮かぶ答えがあるというのは、幸せなことかもしれません。


あ、銀座の交差点でカンニング竹山さんが掲げていた質問への私の答え、出ましたね。私は、幸せです。なぜって私は、「ビートルズの曲で一番好きなのは?」と訊かれて、「And Your Bird Can Singです」ってすぐ答えられるとわかったのですから。


もちろん、他にもいろんな「幸せ」の根拠、あります。



お読みいただき、ありがとうございました。