解像度

「がんばれ!」「やり通せ!」というような盲目的な精神論に欠けるもの。それは、何を実現するかを見据えて、そのために必要なことを具体的に明らかにし、それを確実に実行していくちから、実現力みたいなところにある。自分やまわりの状況を精確に把握する観察力が要りますし、それによって得た情報をもとにいつどこでなにをやるのか発想する力、組み立てる力、構成する力、それを行うための純粋なエネルギー、体力みたいなものも要りそうだ。折れないための、ある意味「健康なからだ」みたいなものも。


すごく含蓄があるけれど、もやもやと霧をまとった含みではなく、高い解像度をもってのぞめばどこも明瞭な、逃げも隠れもしない要塞みたいなもの。幻かのように思えてしまうけれど、空の高いところだとか、海や土の深いところだとか、あるいは私のすぐそばにだって実在している。その存在を信じられない人には、ずっとわからないまま。


魔法のように思えることをいくつも人間は実現してきた。離れたところにいる人と意思の疎通をするとか、空を飛ぶとか宇宙へ飛び出すとか、肉眼で見えない病気の正体を明かして治療法を確率するとか。生身ではできないことを、それでもって拓き、生み出した成果で「魔法」でも「まぼろし」でもない、現実のものにした。


そのひとつは、行動の「解像度」なのかなと。じぶんが「動く」にしても、他の存在の動きを察知するにしても、それがなけりゃ、おおざっぱに化かされてしまう。ごまかしたり、ごまかされたりして、うやむやになってしまう。


細かく、緻密に、器用にそういうのが得意な私も、実在している。そのことを、私は誰よりも知っているはず。いえ、「知っているだけ」では、死んでいる。それをナマモノにする、それが私の「生」なのだと。



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