無駄と道楽に費用

私が無駄にする時間。そこに世界レベルの陸上選手が血のにじむ努力で捻出した記録の0.01秒なんぞが無限万年含まれている。むげんまんねんって、なんやねん。


特急でだれかに仕事をさせておいて、その仕事をしてくれた人にそれなりの対価を払い、短縮した時間をどれだけ活かせているだろうか。短縮できたはずの時間を、案外寝て過ごしちゃったりしてないだろうか。いや、寝るため、休むためにだれかに仕事してもらうというのももちろんあるだろうけれど。あと、仕事の対価として払った特急料金は妥当か? みたいなところも気になってしまう。すごい、無理させてないか。からだをすり減らしたのじゃないか。個人のフィジカルを削るのみじゃなく、社会悪を生み出しているかもしれない。


8Kテレビなるものがあって、すごく値段が高いらしい。「かなり近づいて見ても、粗さを感じない綺麗さ」らしい。人間よりももっと目のいい生き物が見たら、粗さが分かるかもしれない。あるいは、その感度を備えたアンドロイドが見たら、16Kとかでも意味があるのかもしれない。私個人のニーズを述べさせてもらえば、今のところ16K8Kも必要ない。近年乱視気味なので、モニタの性能やら配信される電波に含まれる情報の量がグレードアップするよりも、それをキャッチする視力の方が私には重要かもしれない。


ローファイ指向というのがある音楽ユーザーにはあるようで、私は自分のつくりだす音楽の音質が劣っていることをその層に向けているという言い逃れに使うことがある。いや、実際にはそんなことについてしゃべることはまずないし、これまでにもなかったけれど、心の中で言い訳にしてきたようにも思う。高音質・高品質のものが欲しい人のための音楽を私はつくっているのではない、そういうのが欲しい人はよそのものを聴けばいいと、そういう論理である。


そもそも、私は私のための音楽を作っているくせに、あわよくばそういう、「低品質なのに手の込んだ無駄なもの」が欲しい人には届いて欲しいなどという願望を抱いているがために、高品質指向の人に間違って私の音楽が届いてしまって不満を抱かれた際の言い訳が私の胸の内に滲み出るのかもしれない。そういうものを掬いとって、また無駄な音楽をつくることにしている。


「綺麗合戦」をすれば、どんどんエレベイションしていく。技術の高騰合戦。どこまで細かくなれるか? どこまで高まれるか? どこまで深められるか? という争いになっていく。そのドツボにはまって行く。いや、はまっていない、いつでも外に出てほかへ行ける、というのならそういう穴がそこらじゅうに開いていてもいいのかもしれない。


世界は穴だらけで、不注意で足を踏み入れないように注意している。新しい穴を自分で掘るのは楽しい。すでにある穴に、自分の無意識が土をかぶせて埋めてしまっている場合もあって、かぶさった土を掬いとってみるともっと行けそうな穴があっておもしろくなってどんどんやるという場合もある。


あまり深入りせずに、地表をどんどん移動して、色んな穴を覗き見るのが楽しいそれもある。「ハマるな、まわれ」である。


地表から穴の入り口をどんどん崩していって、浅く広いすり鉢状にしてたくさんの人を巻き込めた頃にそれは社会現象と呼ばれるのかもしれない。


お読みいただき、ありがとうございました。