離れるほどに、関係は安定する。

私は、すぐ夢中になってしまいます。顔を近づけて、一生懸命対象を見ようとします。鼻を突っ込むようにして、においを嗅ごうとします。耳の後ろに手をあてて「パラボラ」をつくり、音源に片方の耳を向けて聴覚に集中します。なんなら、目を閉じて。


対象から離れたら、詳しい外見はわかりにくくなってしまうかもしれません。名画と言われる絵を、100メートル離れたところから見るんじゃ、なんだか見た気がしないかもしれません。おいしそうな料理の芳しさも、離れるほどにかすかになってしまいます。臨場感あふれる音楽も、会場を出てコンクリートの層を隔てて行くほどに、何事もなかったかのようになってしまいがちです。


でも、新しくそこで別のなにかが聴こえるかもしれません。異国の料理が匂うかもしれません。見たこともない美しいものに、出会うかもしれません。そのとき、さっきまで近くにいて、必死で観察しようとしていた対象のことを忘れるのでなく、心に持っておくのです。そうしておきながら、離れたところにある別の対象が私のセンスに引っかかってくるのです。観察しようとしなくても、自然に入ってくるのです。ああ、これもあるなと思うのです。でも、やっぱり忘れていない。夢中になって、必死で観察しようとした、習おうとした、学ぼうとした、得ようとしたあの対象のことをずっと心が思っているのです。


大事に思っている物事があれば、それから一歩でも二歩でも引いて、あえてさがって見てみるといいのかもしれません。対象との距離に含まれる世界が豊かになります。時間的な余裕? 空間的なひろがり? 多様性? そのすべてが、必死で鼻を近づけ、目を凝らして、耳をそばだてていた頃とは比べ物にならないくらいに膨張するはずです。いえ、むしろ、凝縮される? 


私と、その対象との距離をいつも100であらわすとします。すると、私とその対象の距離が離れるほどに、途中にあるものから受ける影響が占める割合は減っていきます。私と、本命の対象との関係が安定するのでは? ちょっとやそっと横やりが入ったくらいでは、なんともないのです。小数点未満の小さなことに思えるかもしれません。


一歩引くことこそ、対象との距離に含まれる世界を豊かにする。



お読みいただき、ありがとうございました。