余力は「全力の反復」から生まれる

「やったことのないこと」「ためしたことのない動き」を実践する、私にとって最も身近な手段が「音楽」です。


自分が演奏したり歌唱したりするための曲を、自分で作るとします。


で、おおむね曲の骨子ができてくるとします。それから、こまかい「こうしよう、ああしよう」が出てきます。そのあれこれは、現状の自分の力が及ばない表現かもしれません。その場合、この曲は「私が自分で演奏するためのもの」ですから、その表現が可能になるように、自分の力を高めねばなりません。で、何をするかといえば、練習をします。


すぐに目指すところにいけないのであれば、段階的に小目標を設定して踏んでいくしかありません。「目標を設定」なんていうと、私自身にはおおげさに響きますから言い方を変えましょう。ハードルを下げるのです。たとえば演奏技術の話でいえば、細かくて速いフレーズがあって、それを現状では演奏力が及ばなくて表現しきれない場合、まずはテンポをゆっくりにします。


どれくらいまでゆっくりにすれば、今の自分にも演奏可能なのか、その値(必ずしも「数字」を明らかにするという意味ではなく)を探ります。これが、ハードルを下げる、です。で、演奏可能なゆっくりさがわかったら、その速さでの表現を繰り返しながら、徐々にテンポを上げていきます。ここで、ついつい、すぐに速くしようとしてしまいがちです。ですが、まだその域には達していない自分に気付くだけ。また元のゆっくりなテンポに戻すことになるだけですから、それでかまわないといえばそうです。おろかな速さにすぐ臨もうとする自分を味わう機会が得られます。


「これくらいまでハードルを下げれば、できる」を明らかにしつつ、「あとちょっとだけハードルを高めて挑戦する」を繰り返して、徐々に、理想とする表現に自分を近づけていきます。いえ、むしろ、「ちょっとだけ高いハードルへのチャレンジ」よりも、「現状ならここまでできる」を繰り返し、慣れ、自動運転でいける! というくらいのところにもっていくのが重要かもしれません。そこは、あくまで「ラクしてできる」ではなく、「全力を出せばここまでできる」を反復するところが重要です。その反復が、最適化を生み、同じ質の動きを、全力を出さなくてもできるようになるのだと思うのです。その際にできた余力が、次のちょっとだけ高いハードルを征服させてくれるのです。


私は、自分のためにつくったこの曲を演奏しきりたい、ああしよう・こうしようと生まれたアイディアも実現したい、そういう具体像をもって、練習に取り組むことができます。練習しないと現状ではできないような表現を設定することで、自分をそこまで高めようとする活動でもあります。現状そのままでできるところに、私の目指す表現はないといってもよさそうです。


お読みいただき、ありがとうございました。