もっさい現代

ちょっっっと六本木あたりなんかを中心に歩いていると、街で見る人見る人どの人もきれいだなぁ、かっこいいなぁと思わざるをえない。そんなこともあるかもしれません。ですが、私は西東京市に住んでいて、都心に出るとしたら、西武線か中央線あたりで池袋か新宿か渋谷にまず出て行くくらいがせいぜいなので、六本木や青山なんかよりは、まだいろんな人がごったごったに煮えくり返っている状態を行くのがせいぜいで、どの人もどの人もほれぼれするくらい「きれいだなぁ」「かっこいいなぁ」と思うほどではない気がします。そう、私の近くには、まだまだ私のような「もっさい」感じの人も、たくさん混じっているのです。そんな環境で生きているのが私です。


でも確かに、ひと昔まえと比べれば、手軽にきれいになれる社会環境に生きていると思うのも確かです。いえ、私が生まれて物心つく頃にはすでにコンビニエンスストアなんかが普及していましたから、私(33歳)がそれを言うのもヘンかもしれませんが。コンビニで化粧品なんていくらでも売っていますし、「読者モデル」なんて呼ばれる、それを主たる業務にしていないような人たちまでもが、紙面やメディアに頻繁に登場するようになりました。SNSに自分や仲間の写真をUPするなんてことも、あたりまえのようにやっています。想像が含まれていますが、私の生まれる以前には、そこまでの状況はやはりありえなかったのじゃないかと思います。


最近、電車に乗って都心のほうへ出かけたりなんかすると、前髪をふわりとさせてくるりと内側にやんわり曲げたロングヘアの若い女性を頻繁に見かけます。彼女たちの髪型を見て私が思い出すのは、松田聖子さんです。松田聖子さんがもっとお若いころにしていた髪型を思うとともに、それを真似したたくさんの女性たちの存在を思います。もちろん、最近見かける街の女性の髪型とは細部、あるいは大部分が違うのであって、似ているのは前髪のカール具合がわずかに、という程度ではあるのですが。いえ、松田聖子さん時のものは、カールももっときつかったかな。


松田聖子さん時のそうした流行を、私はオンタイムで感じていた世代とも違うのですけれどね。なんとなく、最近の街の女性の前髪をみていると、「はやり(流行)」って「まわってかえってくる」ものだななんて、縁側でお茶をすするような気持ちで思うのです。もちろん「現代アレンジが加わったうえで」ですけれど。眉毛の「太い・細い」の流行も、いったりきたりなんじゃないでしょうか。ご本人の素材の方向性を活かしていて、かつ似合っていれば、なんでも良いと私は思いますけれど。


私は、ずーっと幼少期から同じ髪型をしています。小学校の卒業アルバムを見ても、たいして今と変わりありません。素材を活かしているのか殺しているのかよくわかりません。本人の恥ずかしがり屋さん度合いなども、髪型に影響を及ぼすことを思います。私の兄は美容師で、私はもう15年以上、他の美容師さんに切ってもらった経験がありません。身内相手に上から目線というのもおかしいかもしれませんがあえて上から申しますと、兄の美容師としての技術も、15年前よりも10年前よりも5年前よりも、今が一番良いなと感じています。たいして変わりのないように見える私のヘアスタイルも、微妙に「現代版」なはず。ですよね? 兄さん。


お読みいただき、ありがとうございました。