どうぞ素敵な餃子を。

餃子についての記憶をさぐるとき、思い出すことがみっつあります。


1に、餃子はともかく「中華」が個性的でおいしい、あるお店のこと。

2に、家の近所に出来たある専門店のこと。

3に、手作りして食べるときのこと。



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富士見台に源烹輪(げんぽうりん)という中華のお店があります。西武池袋線・富士見台駅からすぐです。家族のお祝いごとなんかでこのお店を利用することがありました。


https://www.genpourin.jp/


餃子がメニューにあったかおぼえておりませんが、創作中華で、品があって個性的かつ奇をてらわない、それでいて野趣ある粋な料理の揃ったお店だったと記憶しております。よろしかったら、訪ねてみてください。


そういえば、私の地域にも最近、一軒の餃子屋さんがオープンしたのでした。家の最寄りの、どこにでもあるような地味とか派手とかそういう軸を逸したようなありふれたスーパー、その向かい側に出来たお店です、その餃子屋さん。


専門店で、その場での提供よりも持ち帰りを主力にした雰囲気のお店です。ただ、カウンター席があるようで、イートインにも対応しているみたいです。「餃子食べれます」という、ら抜き言葉でうたわれた文句が「気になる」と私の妻が言っていました。


外から見るに、なかなか大仰な看板、外装も持った店です。私の慣れ親しんだ価値観や文化・風習とはすこし違ったバックグランドを持ったお店であることを勝手ながら想像します。なんといいますか、赤い大きな看板の外装が派手で、アピールが強いのです。こんなことを申し上げますと偏見だと思われるかもしれませんが、西のほうの商売人の心を持った人が経営者なのかな? なんて、純西東京産の小物である私は思ってしまいます。


私はその店を自分で訪れて購入したことがまだ無いのですが、妻が、我が家を訪ねてきた義母と一緒にその店に行ってきて、持ち帰りをしてきたことがあります。ですので、その店の味を私は知っています。粗刻みなにんにくが印象的で、推奨されている作り方に則って調理しても、にんにくの「生感」の残る一品でした。「これは外出前や仕事前に食べるのは気が引ける」と思ったのを覚えています。


餃子は、手作りするのが味わい深いですね。粉をこねて延ばして皮から手作りすると、「不均質さ」を楽しめます。


ところで、「たまごかけごはん、どれくらい混ぜて食べるか?」という問いがあったとして、完全にごはんと卵が均質になるまで混ぜてから食べるという人は、むしろ少数派なのではないか? という仮説を私は支持します。「むら」がある方が、むしろ、一口ひとくちに変化があって、おいしく感じるのではないか、という論理です。


カレーライスも、ご飯とルウが完全に均質になるまで混ぜて食べる人って少ないのではないかと思います。「ご飯に、ルウが乗っかってる」くらいの状態で食べる人が多いのでは? もちろん、完全に混ぜきって食べるのを否定するつもりは毛頭ありません。その人がおいしいと思って食べるのが一番だと思います。


餃子の皮の不均質さの魅力を提示しておこうと思ったら餃子から話が逸れてしまいました。


手作りする過程で、いろんな「トライ」をすることになります。その結果が、食べるときにひとつひとつ回収できるのが手作り餃子の楽しみでもあると思います。「お、あれはこうなったか」「うまい」「失敗だったな」ひとつひとつの要素の凸凹が、むしろ魅力です。いろいろあるほどに、むしろおいしいのでは?


餃子をつくる場、食べる場。準備や片付けの場も、すべてがコミュニケーションの機会になります。餃子が媒介になって、人を結ぶのです。餃子でなくとも、なんでも良いのですけれどね。カレーライスでも、鍋でも。


お読みいただき、ありがとうございました。




追伸


本文中、「粗刻みなにんにくが印象的」と私が感じたお店はこちらです。


餃子の雪松 保谷店

https://www.yukimatsugyoza.com/store/hoya.html


ルーツは群馬県・水上? 東京からみると西というわけでもありませんでした。 看板・外装も「赤」よりむしろ「白」が基調になっているようです。私の記憶やいかに曖昧か。失礼いたしました。Have a nice Gyoza.