10分間でペペロンチーノ

こどもの遊びに、「課せられるもの」はない。「30分遊べ」と言われて30分遊ばなくてもいいし、「おもちゃの線路のパーツを30個使い切って、1平方メートルを満たせ」と言われても30個のパーツを使い切る必要も1平方メートルをそれで満たす必要もない。そもそも、そんな「30分」とか「30個」とか「1平方メートル」とか課されることがない。それはそもそも、遊びではない。


いや、本人が遊びだと思えば、遊びかもしれない。ルールのある遊び、それは「ゲーム」だろうか。ゲームには、ルールがある。ルールがないと、ゲームとはいいがたい。ルールのない遊びはありえるが、ルールのないゲームはない。「いや、あるんじゃないか?」とおっしゃる場合、それは「ルールがない」というルールを持ったゲームだと思う(ひねくれている?)。


10分でできることは、かならずある。1分でできることも、かならずある。10分で、1分で、結果としてできたことこそが、10分で、1分で、できることそのものである。この10分だとか1分だとかのところが、10日だとか1年だとか3営業日だとかに置き換わっても大差ない。


私は、ときに、ギターやピアノやドラムスを演奏しながら歌ったりハーモニカを吹いたりといったことをする。その様子を指して、よくできるよねなんて言葉をもらうこともある。それらは、おそらく、シンプルな感嘆を表現したことばだと思う。これを受けて、つまらない話をときおり私は返す。「自転車って、最初、乗れませんよね。でも、乗れるようになるじゃないですか。幼児は、箸だってつかえない。でも、使えるようになるじゃないですか」。


そんなようなことを、けむりくさいライブハウスで、白昼の公園で、築うん十年の古めかしい地元のホールでしゃべっていたりする私です。そして、お昼ごはんに、10分でペペロンチーノをつくり、5分でコーヒーを淹れて、2分で飲んでしまったりする。そんな、1日とか半日とかを積み重ねています。


お読みいただき、ありがとうございました。