我、ドーナツを食う。〜何よりも魅力的で社会的なアクティビティ〜

食べ物の好みの話は、けっこう気軽に訊けますね。で、あんがい、異性とか、いえ、恋愛対象の好み話なんかも気軽に訊いていた時代があったんじゃないかなと思います。時代といいますか、TPOによるのかもしれませんけれどね。


恋愛対象の好みの話を訊くことよりももうちょっとハードルを下げたバージョンのありがちな質問が、「好きな芸能人は誰?」「好みのタイプを有名人でいうと?」というようなものです。いえ、ハードルを下げたといいますか、むしろ「やさしい」とか「あたまがいい」とかいう抽象的なことを言われるより、ばしっと固有名詞を挙げてもらったほうがより確実に細部まで共有できるということなのかもしれません。


「やさしくて、あたまがよくて

「それって、たとえば有名人でいうと誰よ?」

●○●○!」

(一同、像を思い浮かべる)

「わかる!」

「ないわぁ!」

「微妙」

「それ誰よ?」

「それ、やさしくてあたまがいいのか?」


芸能人やら有名人やらをどれくらい知っているかって、個人によりますよね。世代にも左右されそうです。年代が近いと、わかりあえることが多いかもしれません。でも、好みのタイプを有名人や芸能人にあてはめるなんてことがそもそもだいぶ無理があるような気がします。そもそも、人を「タイプ」で分けるなんてそんな


これに対して、ちっともうまい解答とはいいませんが、その気持ちはわかるぞよと言いたくなる答えのよくあるやつのひとつが、「好きになった人がタイプ」のやつです。あーそれ、言う人いるよね。(言ったことあるわって人もいらっしゃる? ちなみに私は言ったことありません。)気持ちはわかります。でも、訊いてるほうは、そもそもこの質問が無理矢理だということをある程度承知のうえで訊いているのかもしれず、その「ある程度のぶん」くらいは、答える側も無理にでも多少あてはめて寄せて答えてあげると、いくぶん「技巧的(あしらい上手)だな」と思います。


ですが、こんなしょーもない(失礼?いや、たぶんしょーもないで合っているでしょう)質問の場に、「技巧的」も「誠意」も何もいらないのです。そもそも、好みの恋愛対象のタイプなんて、簡単に訊いちゃいかん。じぶんから開陳する人の話をただ聞くのはよしとして。


そう、好みのタイプみたいなものを知りたいとき、それは、訊くのでなく語らせるのがホントーなんじゃないかと私はふと思うのであります。そんなメンドくさい訊きゃぁいいじゃんと思うかたはもちろん訊いたらいいと思います。相手は、誠意を持って技巧的に、なんならウィットを加えて返してくれるかもしれません。でも、私は、むしろ、そういう、なかなか簡単には訊けないようなことを自ら話してもらえるようなその人との関係づくりこそが、何よりも魅力的で社会的なアクティビティなんじゃないかなんて思うわけです。


そもそも、人の生きるのが、「おれこう思うんだけど、君はどう思う?」という問いそのもなんじゃないか、なんて思います。


ドーナツが好きなら、ドーナツを食ってる姿を見てもらうのがいちばんいいと思います。



青沼詩郎