自粛と存続

音楽を好きな人って多いのじゃないでしょうか。大規模なフェスやコンサートをやれば、多くの人たちが集まったでしょう。それだけ、その場を目的にした人たちが全国にいるのだなと。


私は、自分自身が、曲づくりや歌唱や演奏の活動をするせいか、謙譲の意味でか、「音楽は、不要不急」ということを過剰に思ってしまうふしがあるかもしれません。医療や食料や介護やインフラに関わるようなこと、その他、私の想像が及んでいないたくさんの、命に関わる仕事に比べれば私の愛する音楽の活動は不要不急だと、そういう道理なのでしょう。確かにもちろん、私など音楽の活動をする人が、そのために「動く」ことで、そうした、命に関わる現場に悪い影響を及ぼすことはあってはなりません。その意味で、急ぐことはないといえる分野なのは確かかもしれません。


でも、必要とされて緊張感の高まっている分野で働く人たちの中にだって、音楽を好きな人だっていくらでもいるはずなのですね。「過剰に音楽を不要不急の穴に押し込めてしまう私」が気付いていない点があるとしたら、そこだと思います。自分自身ががんばって取り組んでいることであるのに、いちばん気がついていないところだったかもしれません。近すぎる(一体化しすぎる)と、そこ自体が盲点になってしまします。見落としがち、見過ごしがちなことになってしまいます。


昨日、私は、そんな、私たちの音楽の活動の場であるライブハウスの経営に携わる友人から、一通の救難信号を受けました。これまで、余裕があるとはいえないにしてもなんとかやってきたライブハウスの運営だけれど、とうとう店を潰さざるをえない局面に来ているとのことです。それは望まない。けれど、営業を続ければ、自分たちのつくる場こそが、クラスターを生じさせかねない。それも望まない。音楽の場が潰える以前に、出演者やライブイベント企画者に負担がいって、彼らがたおれること。これこそ、最も望みから遠い。ただ、この音楽の場を守りたい。それでいて、感染の拡大を防ぐために営業を自粛したい。そのため、店の生き残りをかけて発した救難信号。それは、クラウドファウンディングで支援を募るというものでした。今までチャレンジしたことがないことだったそうで、ある意味、そうして不器用かつ実直にやってきたライブハウスの、土壇場での選択だったのかもしれません。


音楽が仮に不要不急産業という一面を持つとしても、例えばライブハウスの経営で日々の糧を得ている人がいて、その人にとってそこで得られる糧こそが、「必要火急」のインフラであり、生活必需品であるという現状があるのですね。ライブハウスの運営だけい限ったことではありません。


命にさわる現場で働く人たちの負担を、ますます加速させている時勢かもしれません。彼らの中に音楽好きがいたとして、彼らの緊迫した仕事が、もういくぶん緊張感がやわらぎ、日常を取り戻しかけたかというときに、あの音楽もこの音楽も、それを担う人たちがみな倒れていたというのではあまりにも寂しすぎます。


私のした、昨日までの仕事。それは確かに、緊急事態ということになったときに「止めるべきでない」ものからは外れるのかもしれません。今は、「必要火急」の分野の人に支えられるばかりかもしれません。ときに見失いがちな、自分のしてきたことの大事さを見直す時間を与えられた幸福。



お読みいただき、ありがとうございました。



青沼詩郎



追伸


本文中に挙げた、私の友人が経営に携わるライブハウスが提案したクラウドファウンデング。覗いてみていただくと、私の言葉の足りない部分がよりおわかりいただけると思います。音楽好きでもそうでなくても、あなたの資源が許すようであれば、ぜひ。


【東京・八王子のライブハウスpapaBeatクラウドファウンディングURL

https://camp-fire.jp/projects/view/252263