究極の草野球

私は、自作曲の演奏や歌唱を10代からやってきた30代男です。で、そうした曲の演奏や歌唱の録音もずっとやってきました。どういう録音かといいますと、ひとりで複数の(すべての)パート(楽器や歌)を演奏するものです。多重録音ですね。先に自分が演じたパートを聴きながら、あとからあとからどんどん自分の演奏や歌を追加していくのです。スティーヴィー・ワンダーさんもポール・マッカートニーさんも、奥田民生さんも斉藤和義さんも用いる、今となっては定番の制作手法です。


この手法を用いると、先の演奏もあとの演奏もすべて自分によるものですから、自分の癖がよくわかります。いえ、もちろん、限られたパートのみの演奏を担当したときには自分の癖はわからないなどというつもりは毛頭ないのですが、その機会により恵まれるのですと、わかりきったようなことをあえていいます。


個人の中で多少、パートによる得意・不得意もあるかもわかりません。でも、とにかく、どのパートでも自分でやります。演奏技術が足りなかったら、そこでリハーサルや練習を重ねて自分をぶち上げます。すでにレコーディングに入っている、そこでそれをやりはじめるのです。ふつう、ありえないことです。予算や収録期間に限りがありますから。私の場合はそれを家でやります。制作内容も、他の人との合議で決まったものではない場合がほとんどです。ですから、現場で自分の技術を上げ始めるなんて順序の逆転ができるのです。もちろん、合議やチームワークの場においてだって、現場で磨かれる部分は大きいはずです。衆人環視の緊張感や責任感が、よい方向に作用することも大きいでしょう。私のとる、ゼロから100まで孤独スタイルも善し悪しなのです。


ただ、そのスタイルは、今のような状況においても、限りなく強い。だって、もともと、社会から孤立しているみたいな場(家でひとり)での活動なのですから。ある種の、究極の草野球かもしれません。


言いたかったのは、最近、多重録音が流行ってきたねと、それだけのことです。アプリの力が大きいでしょう。スマホひとつで、その収録ができます。そのツールであるスマホやアプリの普及が大きいです。それによって、より多くの人が、気軽に多重録音を楽しみだしたのです。おまけに、この情勢。家にいる、人に会わずにいることが望ましいとされている中での楽しみとして、適合だからでしょう。「楽しいよ」って、私は知っていました。


私の普段しているスタイルでの収録機材は、少ないにしても、それでも最低限いくらか必要になるものがあります。録音機(パソコン)、インターフェース、マイク、マイクケーブル、マイクスタンド。(ここではあえて、楽器などはすでにあるものとします)これら一式を揃えるだけでも、ちょっとしたお金がかかってしまいます。もちろん工夫次第で高くも安くもできるでしょうけれど。これらの物を購入するお金、録音場所へ運んで設置したり配線したりする労力、そのための空きスペースも部屋に要るでしょう。それが、みんながすでに持っている、ポケットに入るスマホひとつでできるのです。素晴らしいモバイルですね。


で、今まではあまり多重録音してこなかった人がたくさん出てくるわけです。もともとミュージシャンとして限られたパートを中心に演奏していた人が、複数のパートに気軽にチャレンジし始めたというケースが多そうです。中にはもちろん、演奏や歌へのチャレンジをここに来ていちから始めた人もいるかもしれません。


音だけでなく、映像を含んだ多重録音が盛んです。これは、私がいままで取り組んできたスタイルとの違いです。(私は、音が中心でした。)視点や背景、光の加減なども考える必要が出てきますね。もちろん音だって、マイクの位置と向きが重要ですから、これまでとはまるで特異な要素というわけでもありません。疲れきった、見せたくないパジャマを着替えるとかいった配慮は出てくるでしょう。部屋を片付けるとかね(そのままでも、魅力的な場合だって)。


音や映像関連の、インターフェースとなる機材が売れまくっているようです。知人とのオンラインチャットで機材の話題になることもあって、私もアマゾンでいくつか商品など見ておりますと、「品切れ」「配送に時間がかかる」などの状況であることがわかりました。収録や配信に多くの人が乗り出していることを暗示しているようです。


私もこの頃、様々なプラットフォームでの配信や中継を試しています。SNSなどで気軽にライブストリーミングできる環境はすでにありましたが部分的、導入部の楽しみにすぎず、まだ手触りをみているという程度です。ユーチューバーとか生主とかキャス主とか、もともとこういった分野で活躍してきた人たちのすごさに、今さらながら注目しています。



お読みいただき、ありがとうございました。



青沼詩郎