2017年7月に出した自主アルバム『birthday』に寄せて書いた文もトップページに出しっぱなしでした(これを書いているのは2021年12月初頭。4年間以上も出しっぱなしに……)。
でも完全に消し去るのも惜しいのでここに転記してトップからは消します。……誰得?
以下。
以上。
このアルバムは40分ちょっとの私(青沼詩郎)の無編集いっぱつ勝負のパートごとの演奏を5回重ねたものです。意味、おわかりいただけますか。
多重録音で、すべての楽器(パート)をひとりで仕上げてしまうやりかたで制作する人、いっぱいいると思います。奥田民生さんや斉藤和義さんはそういうやり方ですばらしい曲をたくさん送り出している私の大好きな方々です。
録音は、パンチイン・アウト(途中から録りはじめたり、途中で録りやめたり)したり、編集で複数のテイクをつないだりできます。
でも、そういう「神の手」を排除すると、生身の人間の、一回きりの時間のリアルが出ると私はおもいます。
ただ、ミスも、アラも、ぜんぶ出ちゃう。
「録音物なんだからテクノロジー(編集やパンチイン・アウトなど)をつかって最高のモノを作るべき」とするのももちろん正論です。
神懸かった、すばらしい音源がきっとできるでしょう。
でも私は人間でいたいのです。
人間を見せたいのです。
展示したいし、提示したいです。
きれいな、神懸かった録音物のプレゼンテーションは、なんならほかのミュージシャンに譲ります。
私がやりたいのは、どこまでも、生身の演奏。
曲単位で、演奏をブツ切りやツギハギ編集せずに、かならずパートごとに一回で弾ききる!という制作は、アルバム『birthday』以前も以後も、私はさんざんやりましたし、今もやっています。
でも、40分ちょっとで10曲。この規模を、ぜーーんぶまるまる一回で(パートごとに)演奏しきる、歌い切る、というのは、『birthday』以前も以後も私はやったことがありません。
この地球の古今東西でみても、あんまりいないんじゃないかな? なんなら青沼詩郎が世界初じゃないかな? さすがにそれは言い過ぎかな? 分かりかねますが。
そんなヘンテコ極まるやり方でつくった音源だったので、思い入れと苦労ばかりはたいへんあるのです、勝手ながら。
できあがったものは、想像の通り(?)、もうぶさいくで粗ばかりのものであることは全肯定なのですが……ただ、こういうものって、あんまり世にないんじゃないかなとは思います。
それが必要とされる、価値が認められる、かどうかは正直、希み薄! だと自分でも思いつつ……。でも、やったこと・取り組んだことは私の財産になったのは確かです。
ひとりよがりでしょうけれどね。